傘はどこに忘れられるか
電車に忘れられる傘の多くは、雨上がりの日のものだという。行きに持って出た傘を、帰りに置いてくる。家を出るときに傘を忘れる人は少ない。忘れるのは、傘が要らなくなった後である。
このことは、忘れるという現象が単なる記憶の欠落ではないことを示している。人は物そのものを覚えているのではなく、その物を必要としている状態を覚えている。雨が止んだとき、傘は手の中にあっても意識から外れる。忘却は不注意というより、関心がその物から離れていくことの正確な結果である。
そう考えると、忘れ物が残された場所は、ある必要が終わった地点の記録になる。座席に残された傘は、持ち主がそこで雨を気にしなくなったことを示している。
逆に、どうしても忘れられないものがあるとすれば、それはその物が大切だからとは限らない。その物を求める状態が、まだ終わっていないからである。私たちが手放せずにいるものを並べると、それはまだ終わっていない必要を並べたものになる。